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【特別企画】ヘヴンズドアーはいつでも①

二酸化炭素消火器 CO₂

新時代 “令和” の始まり、今年のGWは長いので時間を持て余される方にブログを読んで頂けるチャンスと認識しております。📅

 

そこで思いつきました、『消防用設備等に絡めた “作り話” を書いてもっと気軽に楽しんで読んでもらえたら最高やん。』って。💡

 

…という訳で数分で読めるショートストーリーをご用意させて頂きましたので、どうぞご覧下さいませ。📖✍(´-`).。oO

 

※これからの話はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。第二段とかも書きたいと思っているので、防災屋がふざけた事している云々のクレームは入れないで下さい。


ネットで二酸化炭素消火器を二本買った。これを閉め切った自宅の風呂場で噴射し、自殺しようと思う。

 

それ程辛いわけではない、よく考えれば。

 

それは分かる。

 

でも、もう飽きた。

 

猛烈に飽きたから、としか言いようがない。

 

衝動的といえばそうだが、それも積もりに積もった退屈が引き金となっていると思う。

 

もうええわ…と言うしかなかった。



 三十歳を過ぎ、世間的では脂がのった年頃などと言われる今、これまで正しいと思われる手段を用いて頑張ってきた奴と、そうでない奴の差が如実に現れてくるのが分かった。

 

SNSで旧友が逐一報告していることなんて、背伸びしまくりのゴミ情報だと一蹴して無視しているつもりだった。

 

だが、自分と比べずにはいられなかった。

 

劣等感が雪だるま式に大きくなっていった。

 

自分も頑張ってきたつもりだった。

 

目の前のことに精一杯取り組んできた。

 

 

それがいつか、何らかの形で報われると思っていたから。



在籍していた会社の業績も上がっていた。少なからず貢献できていると思っていた。

 

 人それぞれ特徴があるが、自分にしかできないことがあり、組織の力になれていると思っていた。

 

その対価として給料を貰っていると思っていた。

 

それが根底から覆されただけの話だった。

 

仕事なんてまた見つければいい。そう思うし、できるだろう。

 

でもその時、吐き気がするほど飽き飽きした気持ちになった。初めての体験だった。

 

面倒くさい、死ぬほど面倒くさいと思った。

 

だったらここで終わってもいいんじゃないかと。



年が経つにつれ残酷になっていく現実を見る為の楽観的メガネで、自分の生死を見てみれば、何とちっぽけで大したことないものなんだと思えた。

 

簡単な話だと分かった時には、ネット通販のアプリで二酸化炭素消火器を二本買っていた。

 

自分の最後について、人間ならば少なくとも何度か考えたことがあるだろう。死期を待つか、それとも能動的に引き起こすか。

 

いつも思っていたが、様々な絶命方法があるにも関わらず、その中で痛みや苦しさを伴うものを選ぶ人がいるということの意味が分からない。

 

車の中や、風呂場で練炭を焚いて一酸化炭素中毒で自殺するという手段はドラマだけでなく現実世界でも起こっているが、あんなチンタラ自分の好きだった音楽を聴いて‥というような気分でもない。

 

一瞬で、無になれればそれでいいと思っていた。